Paris: 歴史を巡る観光 – Part 1

2年ぶりのフランスの旅…
小学校の頃に1年半フランスで暮らしたことがあるのですが、かなり昔のこと…
そして、ゲリニというかなり田舎での暮らし。
パリは小さいころ学校の夏休み時に親戚の家を訪れる程度…

と、いうわけで…
観光は事実上、今回が初めてとなります♪

今回滞在したのはパリ8区にあるマドレーヌ広場近くの抜群なロケーション♪
近くにはパリの2大デパート、ギャラリー・ラファイエットとプランタン、
マドレーヌ寺院、コンコルド広場等…
結果的には全てを徒歩で廻りました!

今回の旅は「歴史を巡る観光」
訪れた順に書いていこうと思います。

マドレーヌ寺院 – Église de la Madeleine
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ホテルから3分くらいのところにギリシャ神殿のような建造物が…
立派な建物の中に入ってみることに。
そこは、聖女マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会だった。
建設はブルボン朝末期に開始されたがフランス革命により中断。
建設はその後、再開され1842年に完成。
ただ、ナポレオン1世の命でフランス軍戦没将兵顕彰に造営目的が変更されたとか。
この時、ナポレオンは既に失脚していたのでルイ18世によってカトリック教会に用途が変更された。
なるほど!だからどうみても「教会」には見えなかったのね。
中はこんな感じ…

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コンコルド広場 – Place de la Concorde

フランス革命時(1793年)にルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された場所としてパリの中心部にある有名な広場…

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こちらの広場は1755年に設計され、もともとはルイ15世の騎馬像が設置されていて「ルイ15世広場」と呼ばれていた。
その後、フランス革命(1787〜1799年)の勃発により騎馬像は取り壊され、かわりにギロチン台が置かれて「革命広場」と名前が改められた。
この広場で1000人を超える貴族や王制支持者、分裂していく革命派や反革命を口にした一般の市民の命が次々と落とされたと言われています。
その後、1795年に再び名前を「コンコルド広場」(コンコルド=調和)に変わった。

現在はルイ15世の騎馬像やギロチン台は無く…
広場の中央にはオベリスクが立っている。

ルクソールオベリスク
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元々、このオベリスクはルクソール神殿の入口に対で立っていた。
残るもう1本はまだそのまま立っているとか。
そして、1833年に当時エジプトとスーダンを統治していたムハンマド・アリから贈られたと言われている。
しかし、「贈られた」という表現は正確ではないのが歴史を辿れば分かる。
1805年にトルコのスルタンによりエジプト総督に任命されたムハンマド・アリは1811年にエジプトの近代化を進めるためにマムルーク族(マムルークとは奴隷出身の軍人で構成された戦闘集団でオスマン帝国領エジプトを支配していた)を虐殺、排除した。
アリはエジプトの近代化と産業振興のため、ヨーロッパからの機械や技術を導入する必要があた。それを知っていたフランス人、イギリス人やドイツ人、自称技術者たちが彼に群がった。
その代償としてヨーロッパ人に遺跡の発掘権と持ち出しを認めざるを得なかったというのが現実だった。
そこには、現在とはカタチは違うが後進国の悲しい現実があったのだと改めて知った。

エトワール凱旋門 – Arc de triomphe de l’ÉtoileImage

こちらの凱旋門はシャルル・ド・ゴール広場に1806年にフランス軍がヨーロッパ連合軍に勝利した際の戦勝記念としてナポレオン1世の命によって着工し、軍隊の栄光を讃える建造物として建てられた。

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この広場は凱旋門を中心にシャンゼリゼ通りを含む12本の通りが放射状に延びていて「星」= étoile のように見えることから「エトワール広場 La place de l’Etoile」= 星の広場と呼ばれていた。
しかし、第二次世界大戦にてナチス・ドイツに占領されていたパリを解放したことで知られるシャルル・ド・ゴール将軍を讃えるため、1970年に「シャルル・ド・ゴール広場」と名前が変わった。

このシャルル・ド・ゴール広場に建つ凱旋門はフランス軍の戦いや勝利の象徴、革命記念日や、戦争などで亡くなった方々に敬意を表す時のセレモニー会場としても使用されている。
門の内側には戦死した兵士の名前が刻まれ…
地下には戦士たちの墓地があり記念碑と絶えず火が灯されている。

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フランスのこれまでが刻まれる凱旋門、ご存知でしたか?
実はこの「エトワール凱旋門」はナポレオン1世の2つ目の凱旋門だったことを…
(この件に関してはPart 2で取り上げますね♪)

エッフェル塔 – La tour EiffelImage

フランス革命100周年を記念して1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された。
フランス革命100周年記念のモニュメントとして良い案がないかコンペティションが行われ…
その結果、エッフェル社社長エッフェルが提案した鉄を用いた塔が選ばれた。
鉄は当時主流だった石よりも軽く、あらかじめ作っておいたユニットを組み立てるだけで済むことから、物理的にも経済的にも合理的だとされた。
また、それ以上に何よりも19世紀を象徴する「鉄」を用いた塔は新時代のイメージにふさわしい!とこの案に飛びつき採用された。

当時は多くの人々から石造りのパリの街の景観を損なうと嫌われていたとか…
それにもかかわらず、完成後は多くの芸術家が作品に残し続けた…
当初は建築から20年後には取り壊される予定だったが、時代の流れは無線へと。
1906年にアンテナが設置され、第一次世界大戦時にはドイツの無線を傍受するなど軍事拠点としても活躍したとか。
現在ではパリの街には欠かせない存在として建つ「鉄の刺繍」エッフェル塔はパリの象徴となっている。

エッフェル塔はなんだか吸い込まれそうになる迫力!
展望台に登ろうとしている観光客の長蛇の列はとぐろを巻きながら並んでいた。
うぅ〜。今回は登るのを断念…
事前にネット予約が出来ることを後から知ったが、次回はそのネット予約をしてから行こうと思う。
また、ネット予約をしてもピーク時は2時間待つこともあるとか。
当日券で登ろうとしたらいったい何時間待たされるのだろうか!?

パリの街はとても歩きやすく…
昔からグランドデザインがしっかりしていたからかごちゃごちゃ感が少なく。
勝手な想像だけど…
当時、馬車道だった道をそのまま利用しているからなのか道も広く感じる。
植物もたくさんあり空気が澄んでいて清々しい。

また、パリの街を歩いて見た光景はただの建造物ではない。
フランス人のこれまでというか…
過去の人々が現在とこれからのために希望と願いを込めて残してくれた歴史なのだと実感しました。
現在の美しいパリには過去があるから今があり、今があるから未来がある…
現在の私は歴史上に存在しているのだと実感。
また、今とこれからを理解するためにも歴史の知識を深めようと改めて思いました。

Part 2 へ…つづく。

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