3.11:あの日から3年…

Image 震災から約1年… 石巻を訪れて見て、知って、感じたことは忘れない。 日本時間:14時46分18秒 ドイツ時間:06時46分18秒 黙祷 今朝、 2011年3月11日の大地震で亡くなられた方々、行方不明になられた方々、被災された方々に想いを寄せながらささやかに黙祷を捧げさせていただきました。 そのとき、頭の中は当日の1日が映像で流れてきました。 親友のお引っ越しのお手伝い… 我が家のスターバックスで一服する。 すると大きな揺れを感じ、店内の商品が倒れて来た。 永遠に揺れが続いたように感じた。 お客さんの一人が “これは外に出た方がいい!”とドアを開けてくれた。 幸い、このスターバックスは大きな広場にあり、真ん中に集まれば建物が倒壊しても大丈夫だった。 周りの建物は古く… ゆらゆらと大きく揺れるのを今でも鮮明に覚えている。 急いでそれぞれの家に戻りテレビをつけた。 その瞬間から全てが変わった。 津波が車、道路、建物、街全体… そして、尊い人々の命を飲み込んだ。 あの時の映像を見た時の唖然として身動きができなくなった感覚を今でも忘れない。 そして、忘れてはいけない。 慌てて家族や友達の安否確認に取りかかった。 世界中の友達から facebook で私たちの安否を心配してくれた。 感謝の気持ちでいっぱいだった。 そして、福島第一原発の爆発… その瞬間、世界が変わった。 目に見えない戦いが始まった。 そして、今でもこれからも続く戦いを始めてしまったのだ。 3年前の今日、 3月11日にたくさんの愛おしい大切な命が奪われました。 いつもと変わらない、普通の日常が大きな地震とともに当たり前から当たり前じゃなくなった。 日本人を始め、世界中の人々の幸せや絆のカタチが問われ、その定義が変わった瞬間だった。 いつもと変わらない日常や暮らし… 家族、恋人や友達といま、こうして一緒にいられる事に感謝の気持ちしかない。 世の中には当たり前はない。 毎日が奇跡の連続なのだと教えてもらった。 あれから3年… 復興はまだまだ続きます。 遠く離れていても、できることを続けたい… この事を忘れちゃいけない。 3年前のこの日から… この国のこれからの在り方の議論などが多く繰り返されている。 正しい道は何なのか、心の中ではみんな知っている。 改めて3年前を思い出して、正しい選択のできる日本になって欲しいと心から願う。 世界の見本になる日本を作りたい。 日本にならできる。 それも、みんな知っているはず。 深い悲しみを、いまでも乗り越えようとしている方々… 自分の家を失った方々や家はあるのに帰れない方々が多くいらっしゃいます。 そんな方々が本当の意味で少しでもゆっくりホッとできる生活への道が開けますよう心から願っています。

iSR:THIS IS YOUR LIFE.

このポスター… “HOLSTEE のマニフェスト”

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ソーシャルネットワークなどでも話題に… 見覚えのある方も多いかもしれません。

このマニフェスト(宣言・声明・社訓)に出会っていない方もいるかもしれないので改めて(自分なりの解釈と訳で)ご紹介したいと思います♪

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

これはあなたの人生です。

やりたいことをやろう。
そして、どんどんやろう。

何か気に入らないことがあるのなら、変えればいい。
仕事が気に入らないのなら、辞めればいい。

時間がないのなら、テレビを観るのをやめればいい。

愛する運命の人を探しているのなら、やめよう。
あなたが好きなことを始めたとき、運命の人はそこにいるだろう。

分析しすぎるのはやめよう。人生はシンプルだ。

全ての感情は美しい。
何かを食べるとき、最後の一口まで感謝しよう。

新しいことや出会いを、心を開き、腕をひろげて受入れよう。
私たちはそれぞれの個性によって結びついている。

つぎに会う人に、その人が情熱を傾けているものをたずねてみよう。
そして、その人たちにあなたの夢をシェアしよう。

もっと旅をしよう。

道に迷うことで、自分を発見するでしょう。

ときにチャンスは一度しかおとずれない、しっかりと掴もう。

人生とはあなたが出会う人々であり、その人たちと一緒に作るもの。
さあ、さっそく始めよう。

人生は短い。

情熱を持って、自分の夢に生きよう。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

このシンプルでありながら、とても深い、愛情たっぷりのメッセージは私たちの心の内に問いかけるチカラを持っていような気がします。
みなさんの “いま” の自分の腑に落ちる言葉はありましたか?

このマニフェストを初めて見たのは約5年前に HOLSTEE社 を偶然見つけた時でした。
“HOLSTEE”はニューヨークにある、多くの気づきや有意義な経験などをシェアできるユニークなライフスタイル製品を扱う会社です。
出会った当時、この会社で働きたいと真剣に思いました(笑)

当時、初めて読んだときズッシーンと心に響きました。
幼い頃から多くのコンプレックスを持ち、ずっと目を背けていた持病のツケが廻ってきたころ…
みんなそれぞれ色々な内なる課題を抱えています。
また、それぞれの “また頑張ってみよう スイッチ” があると思います。
この マニフェストは私にとってのスイッチの一つでした。
なんど読んでも響く言葉。
響く箇所は毎回違うような気がします。
その時、自分に合った、その時に必要なメッセージが心に響く不思議なチカラを持つマニフェスト…

人生はシンプルなのです。
複雑にしているのは自分…
自分の人生の全ての選択は誰でもない自分でしているのです。
その選択は必ず関わる全ての人にも影響を与えています。
なら、その人生をハッピーで納得するものにしたい。
限られた人生という時間を大切に生きるためにも。

Bangladesh:どうして行くことになったの?

はじめに

バングラデシュに初めて行ったのは2010年2月のことでした。
当時書いた記録を当時の日付でこちらのブログにアップするとともに、当時を振り返って思ったことや、多くの方々に頂いていた質問などに答えて行ければと思います。
今回は当時を振り返って書いたブログです。

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自分という人間はまだまだ未熟だし不完全だけど…
ワタシが社会のためにできるコトは何だろう?
そもそも、そんなおこがましいコトができるのだろうか。
そんなことをモンモンと考えていました。

人はある意味いつまでたっても未熟だし不完全なままかもしれない。
言い換えれば、「いまのありのままの自分が、いまの成熟した状態であり完全な状態」なのかもしれませんね。
いまは、それがよーく分かります。
ま、それはいいとして…

当時、様々な “社会起業家” さん達の活躍をフォローしていた時にある映画が目に留まったのです。
その映画はバングラデシュにある エクマットラという団体が自主制作した バングラデシュのストリートチルドレンに関する映画でした。

映画のタイトルは “あり地獄のような街”
詳細を確認すると横浜にある ジャック&ベティーという映画館で上映しているとか。

その時、ワタシは会社を辞め自分でひとつひとつ手作りしたアクセサリーのブランドを立ち上げていました。
そのアクセサリーを横浜にある某有名デパートでの出展に関する打ち合わせが予定されていたのです。
打ち合わせは午後。
映画上映は不定期だったが時間的にピッタリあうスロットがあった。
これは呼ばれている!そう思いました(笑)

当日、映画を観に…
ドキュメンタリー形式かなと思っていたのですが、ドラマ形式の映画でした。
中近東やアフリカで暮らした経験からストリートチルドレンの存在は知っていました。インドへの何度もの訪問で子供たちとともに時間をすることも出来ました。彼らの裏の世界の話も聞いていましたが…
映画を観て自分の中のスイッチが入るのを感じました。

映画館で頂いたチラシには “自主上映者募集” という文字が…
“これだ!” と直感で思い、映画館を出てすぐに書いてある番号に電話をして自主上映がしたいことを伝えました。
自主上映時期を聞かれると慌てて手帳を取り出し “5月のゴールデンウィーク辺りで”と答えて電話を切りました。

その時、自分が何をしようとしているのか、正直全く見当もつきませんでした。
何処で、どんだけの規模で誰に向けてこの上映会を企画しているのかはもちろんのこと、どんだけのお金が掛かり、どんだけの方々の助けを求めることになるのかも全く見当がついていませんでした。
いま振り返ると我ながら無鉄砲だったなぁ…(笑)

しかし、確実に言えるのは “この様な現実が世界で起きていることを多くの人々に知ってもらいたい” でした。
そして、”見て” “知って” “感じて” その人の何かの “きっかけ” に繋げたい!
この映画がワタシとバングラデシュを繋げてくれたように。

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バングラデシュとインド国境の近くの村で出会った子供たち♪

この映画のストリートチルドレン役には エクマットラが保護している子供たちも出演しています。現地に行くことは難しいことかもしれない。仮に現地に行けても現場を実際に見ることはほぼ不可能でしょう。でも、現地の関係者が制作した映像を通してストリートチルドレンの現状が少しでもリアルなモノに代わり、現場の空気を離れていながらも映画という媒体によってよりリアルに感じることが出来るのではないかと思ったのです。

その後、この企画を実行するにあたり恩師に相談…
企画自体には賛同してくださったのですが、 “バングラデシュには行ったことがあるのか?” という思いがけない質問をされたのでした。
…行ったことがない。
“映画を観て、現地に行かなくてもここまで熱くなれるのもすごいなぁ。それも面白い!”と言われ、 自分のミッションを見つけ気持ちが高まっているワタシは映画上映で頭がいっぱいになっていました。

そしてある日…
恩師から連絡があり、“バングラデシュに出張で行くけどおまえも行くか?” という有難いお声がけを頂いたのです。

この時に、こうしてバングラデシュ行きが決まり、MINESHA 自主上映会までの冒険が始まったのでした。
ただし、これがスタート地点にも立っていなかったことをあの時はまだ知りませんでしたとさ。

つづく…

Travel Style:“スーツケースでバックパッカー” はダメなの?

誰かと旅行をするとその人の性質がよく見えるといいますよね。
その通りだと思います。
また、旅のスタイルからも同じことが見えてくると思うのです。
気を使うタイプなのか、意外と自己中心的なのか、周りに合わせるタイプなのか、マイペースさんなのか…

自分はどちらかと言うと “気を使う、周りに合わせる” という一番疲れるタイプです(苦笑)
性格を変えるのはそう簡単ではありませんが…
カタチから変えてみるのはどうでしょう?
例えば、持ってい行く旅行カバンとか。

旅関連の雑誌、旅ブログやネットを検索するとたくさんの情報が溢れていますが…
見た目とか、ハヤリとか気になりますか?
いいんです。誰が何を持って行こうが。
業界がなんて言ってようが関係ないのです。

また、バックパッカーはバックパックで行くモノだと決まっていると思いますか?
ただのステレオタイプだと私は思うのです。

それではですよ…
仮に自分がパックパッカーであること、なろうとしていることを忘れてみましょう。
どのスタイルのカバンを持って行くかて、旅程の内容を把握した上で自分にとって一番合ったモノに決めればいいのです。

例えば、マウンテンバイクに乗っているからといって必ずしもオフロードしか走りませんか?いや、街中でも乗りますよね。
また、テニスシューズを履いているからといって あなたは今、テニスをしていますか?
いや、きっとお散歩をした後にカフェで一休みしているかもしれません。

要は、スーツケースでバックパッカーの旅がしたければすればいいのです。
我々個人に個性があるのと同じようにそれぞれのスタイルがあっていいのです。

あって当たり前なのです。
なので、自分のスタイルで旅をすればいいのです。

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前置きが長くなりましたが…
スーツケースのメリット&デメリットを書いてみようと思います。


メリット:

  • ホイール:ホイール付きですよ!これは人類最強の発明でしょ!どんなに荷物が重くても運べちゃう優れものです。
  • 大容量:容量が大きいのでたくさんのモノを収納することができる。自分の欲しい物やお土産も多少は入りそう♪
  • 腰に優しい:重い荷物を背負うことがないので腰に優しいのはありがたい。
    また、バックパックでよくあるのは… 冬は比較的大丈夫でも、夏はいくら通気性が良くても汗はかなりかきますし、気持ちのいいものではありません。
  • 耐久性:飛行機移動のチェックイン時に引っ掛かって穴が開いたりチギレる心配がない。空港での荷物の取り扱い職員が一つ一つ丁寧にベルトコンベアから飛行機に乗せ変えているはずもないので…
  • 安定性:スーツケースになると荷物のカタチが安定するので、何処かで待機している時に倒れたりする心配がない。
    また、トイレね… トイレに持って行かないと行けない場合は汚れるのはホイールだけで済むのが大きなポイント!だと、私は思う。なぜなら、バックパックでトイレに行っても多くの場合は引っ掛ける所が壊れていて使用不可能、または無いことが多い。すると、背中に背負って出来ない場合は汚い汚い床に置かなければならない。それだけは避けたい…
  • 多様性:他の荷物を引っ掛けたり乗せてコロコロ快適♪また、待機中座る場所がない場合は横に倒して椅子にもなるし、汚れたら拭けるから大丈夫。

デメリット

  • 階段:ホイールが付いてるからといって何処へでもコロコロという訳にはいきません。安宿なでになるとエレベーターなんぞ素敵なモノは少ない。あなたの部屋は506号室の5階… スーツケースを自分で上まで持って行かなければなりません。旅中1、2回ならいいけど… 長期複数箇所となると考えものだね。
  • 走れない:そうです。電車、バスやフェリーに乗り遅れそうな時に困るのです。ホイールが道路の溝にハマったりして身軽に走れず… 待ちぼうけ… という事もあるとかないとか。
  • 利便性:出先でちょっとしたモノを取り出したい時に少し不便ですね。広いスペースでスーツケースを開いて取り出すことになる。手荷物に入れるモノをよーく考えないといけませんね。

自分の経験からいうと、こんなもんかな。

また、個人的には “スーツケースでバックパッカー” をタイとインドで経験しました。
国をまたいでの移動がなかったのでスーツケースを選択しました。

My スタイル
チェックイン用荷物:ProtecA – FLUCTY 02145(89リットル)
手荷物:Osprey – Kestrel 38:オスプレー – ケストレル 38(38リットル)
スーツケースは ProtecA、バックパックは Osprey と基本的に決めているほど両方ともかなり気に入ってます。

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Osprey:かなり気に入ってます♪

各国ではメインとなる拠点を決めて、移動時は手荷物として持ってきていたオスプレーのバックパックに必要なものだけ入れての移動。
スーツケースはその拠点のホテルなどに預ける。(有料)
荷物の盗難や破損の恐れもありますが、ここはホテルのオーナーと仲良くなり少し多めのチップを渡す。

仲良くなる方法?
こっそり教えちゃいましょう♪

ここは少しだけ女性であるのを武器に笑顔です。
でも、大きな “力強い” 笑顔です。
精一杯の目地からと力強い笑顔で“女性だからといって軽く見るなよ!” と “こっちは旅慣れしているのよ!” を伝えるのです。※ 旅慣れしてなくてもです!

もちろん、どの国に行っても優しくていい人ばかりです。
でも、中にはそうでもない人もいるのだということを忘れてはなりません。

また、私は基本的にチップ制度のある国ではチップを支払いますが…
お金だけで済ませたくない主義でもあります。
そんな時、インドでは日中だったらやっぱりチャイをおごらせてもらう♪
夜だったら Kingfisher Strong  を奮発しちゃう。
タイではもちろん Chang Beer かな。

お互い人間です。家族や友達がいます。
その家族や友達の話をしてお互いのことを知り合う絶好のチャンスです!
戻った時にはまた乾杯しよう!と伝えれば被害なく荷物も安心です。
なぜなら、私たちは顔見知りの知り合い、友達だから。

また、戻った時には家族に合わせてくれたり逆にチャイやビールをおごってもらったり♪
これも旅に出る楽しみの一つだと思うのです。

※ ホテルのマネージャーの名刺をもらい、礼儀として係の人の名前を覚えておく。
※ 荷物には絶対に貴重品を入れないこと!

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人力車でスーツケースとMINESHAがコルカタの街を走る!

MINESHA Style: your Life, your Style.

Augsburg:グランドホテル・コスモポリス

難民の住居といえばどうしても砂漠地帯の乾燥した場所に無数のテントが設置された “難民キャンプ” を思い浮かべてしまうが、皆さんはどのような場所を想像するだろうか?

いままで、遠い存在であった難民をドイツが世界的にも多く受け入れていることを知ったのはこちらに暮らすようになってからだ。
そして、一体ドイツの何処に “難民キャンプ” のような場所があるのだろうかと不思議に思っていた。
知識不足とはこういう事なのだと痛感しながらもドイツの南部・アウグスブルクで難民問題に対して前例のない実験的な取り組みを行っている「グランドホテル・コスモポリス」に行ってきた。
この場所が自分の視野を広げる「旅」に繋がるとはまだ知らなかった私は難民問題の深さと抱える複雑な課題を思い知る事になったのだ。

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「グランドホテル・コスモポリス」は名前の通り宿泊施設であるが、ここは通常とは違った “ソーシャル・スカルプチャー”(社会彫刻)というコンセプトを取り入れたちょっとユニークなホテルだ。
このコンセプトはドイツの現代アーティスト・彫刻家・教育者・社会活動家のヨーセフ・ボイスが提唱した概念であり、「あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与することができる。それはつまり、誰でも未来に向けて社会を彫刻でき、しなければならない。」という呼びかけである。

ここは旅行者の宿泊施設のみならず現在約難民60名への人道的住宅提供という役割も担っている “難民収容ホテル”とも言える。
ホテル内にはドイツ人と難民アーティストのアトリエ、イベントや展示スペース、またカフェなどが存在する。現在まだ工事中のレストランも近々オープンする予定だとか!

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もともと老人福祉施設として使用されていた6階建ての建物が設備の老朽化により使用されなくなったものを、アーティストや「何か面白いコトが起きている!」と聞きつけてやって来たボランティアたち自らの手でリノベーションを行っている。使用されている多くの資材や物資は “廃棄物” や “不要物”または寄付されたモノである。
洗濯洗剤の箱を利用したベッドフレームや不要になったクローゼットを利用して作り替えた2段ベッドなどがありとてもアーティスティックだ。もともとは廃棄される資材や物資に付加価値を加えることで更に価値のあるモノに変えるアップサイクルを行っている。

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難民住居スペースはホテルとは区切られた場所に設けられている。
多くの難民は “キャンプ” や放置された古い建物に隔離され社会から絶縁されていることが多いのが実情だ。
しかし、グランドホテルでは部屋もとてもシンプルだが “通常のメタル製の2段ベッド” などよりもいい家具を提供している。また、希望する者は自分の部屋をアーティスティックに装飾することも可能だとか。ある程度の個人のプライバシーと自立が尊重された環境のなかで共生することが配慮されているようだ。更にライフスタイルがソーシャルスカルプチャーというキーワードの元に積極的にコミュニティーに参加して行けることを理想としている。

また、ソーシャル・スカルプチャーというコンセプトは、施設の装飾やアップサイクリングなどのモノとしてカタチを取るだけではない。例えば、宿泊した旅行者や訪れる地域住民などが利用できるホテルのカフェでは “オープンプライス”方式が採用されている。これは利用者が代金を自分で決めるという形式だ。一般通念的な “価格” と “価値” という事柄に対して新しい気づきを提案すること自体が利用者も参加するアートである、という考え方も含まれているのだ。

現在、ホテルとしての営業はまだ始まっていないが、関係者のご好意で営業前のホテルに滞在することができた。

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滞在中はホテル関係者の方々に色々な話を伺い、スタッフミーティングにも参加した。そこで見えて来たことはまだまだ色々な課題があること。
難民、旅行者、アーティスト、ボランティアや地域住民のそれぞれ異なるニーズやテンションをどのようにまとめ、共存して行くのか。
それぞれの “場” で起きる課題をどう対処して行くのか。

その他にもたくさんの課題が議題にあがったが、その課題にホテルに関わる全ての人が協力して取り組むこと自体が “作品” すなわち “ソーシャル・スカルプチャー” である、ということなのだ。それらの課題(作品)に関しては別の機会に取り上げたいと思う。

この試みが “成功” することによって同じような取り組みが展開されるかもしれないので引き続き注目していきたい。

世界の難民の状態について思う

世界中で迫害、紛争、暴力、人権侵害などが原因で4520万人が避難を余儀なくされている。
この様な方々を「難民」と呼んでいる。

現在注目されているシリアでも紛争から3年目に突入し、難民がついに200万人に上ったと発表された。
また、その半数である100万人が子供だということだ。

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現在14万人以上の難民が生活するザータリキャンプ…
世界で二番目の大きさであるこのキャンプはシリア危機の深刻さを物語っている。
最早、キャンプを通り越して一つの街となっているようにも見える。
(写真:英国Mirror紙より引用)

スウェーデン政府は9月3日にEU加盟国として初めて、亡命を希望するシリア難民全員を受け入れると発表した。
このニュースはとても希望を感じると共にスウェーデンの事情や条件などには詳しくないが実際に亡命者を受け入れてどのように支援をし「自立」に繋げていくのかにとても興味がある今日この頃です。

文化、宗教、習慣や食事が違う様々な民族が亡命を希望して母国を脱出している。
この様な実態をニュースや新聞などで読んで思う…
歴史の流れが少しでも違っていたら決して他人ゴトではなったかもしれない。
日本人の父、フランスとエジプト人の母を持つ私自身もこの組み合わせが逆だったら日本人ではなくエジプト人として生きていたかもしれない。
現在のエジプトの状況を見ていると色々な意味でなおさら他人ゴトとは思えなくなっている。

また、現在住んでいるドイツのデュッセルドルフにもたくさんの移民や難民が暮らしている。
ドイツ語学校にもドイツでの暮らしや仕事に繋げるために必死に勉強しているクラスメイトも多くいます。

そんな難民に関連するニュースや体験に日々接するなかドイツの南部・アウグスブルクで難民問題に対して興味深い取り組みをしている場所があると聞いたので先日訪れてきました。

…次回へ

チェチェン難民の現状

先日アウグスブルクに行った際に宿泊したグランドホテルにはチェチェン共和国からの難民が多く滞在していました。
最初に得た印象は皆、非常にもの静かであまり目を合わせようとしないことでした。
その背景にはきっと私たちには想像もつかない困難があったのだと思います。

現地で出会ったドイツ人アーティスト兼活動家の方に彼らのドイツに来るまでのいきさつを少し話してもらいました。
彼らが母国で受けた仕打ちなどによって家族でさえ信用できなくなっている事実を聞かされ言葉を失ってしまいました。
それらの内容を少し解明する記事が先日掲載されたSPIEGEL誌にも書かれていたので意訳をしてみました。

チェチェン共和国
北カフカース(北コーカサス)地方の北東部に位置するロシア連邦北カフカース連邦管区に属する。設立は1991年で首都はグロズヌイ。北カフカースの先住民族のひとつのチェチェン人が住民の多数を占める。

ロシアの憲法上ではロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつである。しかしソビエト連邦解体後、ロシア連邦政府及びロシア連邦への残留を主張するチェチェン人勢力と、チェチェン・イチケリア共和国やカフカース首長国を自称するチェチェンの独立を求める武装勢力との間で対立が続き、2度のチェチェン紛争と独立派のテロリズムがたびたび発生している。(Wikipediaから引用)

ラムザン・カディロフ
1976年10月5日生まれ36歳。チェチェン共和国の政治家。同国の第3代大統領、民警少将、ロシア連邦英雄。2004年5月9日に暗殺されたアフマド・カディロフの次男である。(Wikipediaから引用)

SPIEGEL 2013年9月6日Image

チェチェン共和国からの難民の波:”カディロフはサディストである”
プーチン政権からの後押しを受けているチェチェン共和国カディロフ大統領が次々と高層ビルやモスクを建設するなか、今までにないほどのチェチェン人がドイツへと逃げている。下記では人権活動家であるスベトラーナ・ガヌシュキナ氏が実際に行われている拷問や勝手で奇妙な噂(ガセネタ)の理由を説明している。

今年だけでも1万人のチェチェン難民がドイツに流れ込んでいる。
その理由としては「誰か」=仲介人がドイツでは4万人のチェチェン難民を受け入れていて、難民にとっては条件が厳しいノルウェイやポランドとは別にドイツでは一区画の土地とお金が与えられていると噂を流しているからである。

でも、どうしてこの様な噂を真に受けてしまうのか。

それはソビエト時代の例があるからだそうだ。
1970年代にあるロシアの人権活動家がアメリカに渡り亡命を希望した。
その時に簡単な理由を提示するだけで受理されたケースがあった。

当時、亡命を求める人は比較的簡単に「西側」から受け入れられていた時代があったとの認識がされている。
また、多くの人々は「西側」は我々(難民)に同情し受け入れ態勢を整えて待っていてくれている。
そんなレガシーが伝えられているのだとか。

しかし、現実は真逆のことが起きている。
Die Welt 紙によるとイスラム過激派の侵入を恐れ、90%以上の難民が強制送還されているのが実情である。

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なかには、この様な例がある。
母親を母国で殺害され子供を連れてドイツに来た女性がいた。
彼女はドイツの病院で働き貴重な人材として職場の上司も彼女の存在にとても感謝をしている。

このようにドイツ社会に同化するものもいるなか、ボストンマラソンのテロ事件のようなことが起きたことによってチェチェン人に暗い陰が落とされているのも事実だ。

また、我々は建物の壁に無数の銃痕が残っているチェチェン共和国の首都グロズヌイを思い浮かべるが現在は高層ビルが次々と建設されている。
この現実と実際に行われている集団脱出をどう説明するのか…

現在のチェチェン人は日々恐怖の中で暮らしている。
彼らは公に話すのを恐れているのです。
余計なことを言ってしまうのが怖いのだと言う。

しかし、ラムザン・カディロフは多くに取っては英雄であり強い男でもある。
そんなカディロフの影響力を傘に権力を振るっている従属者が横行している。
その犠牲者として多くの女性が性的犠牲を受けている。
彼女達は抵抗すると自分だけではなく家族の命までが危険にさらされると脅されるので選択の余地がない。
また、 反政府武装集団の為に食料品を購入したという事がテロ支援としてとらわれ多くの男性が母国の刑務所で拷問を受けている事実が報告されている。
それも重武装した兵士が食料を求め夜中に家を襲いに来る。
言うことを聞かない場合は両親や兄妹などの命を奪うと脅かされ言うことを聞く以外の余地がない。
この様な行為が当局に密告され取り調べを受け拷問を受ける。
そのため腎臓に損傷を受け重傷な状態に陥ってしまう事が多い。
また命を守るために母国を脱出することを選択せざるを得ない。

カディロフに取っては虐待などは普通であり根っからのサディストである。
自分の周りには同じ考えを持つ者で固め残酷で全体主義体制と恐怖政治的な強権を振るって人々を支配している。
また、クレムリンはモスクワでも影響力を持つカディロフを野放しにすることでチェチェン共和国をロシア連邦の連邦構成主体にとどめさせる事が目的だとされてる。

SPIEGEL誌のドイツ語原文
Fluchtwelle aus Tschetschenien: “Kadyrow ist ein Sadist”
(写真は上記SPIEGEL誌より引用)

Düsseldorf: Biohof オーガニック農園

8月に入ってから何日か暑い日もありましたが…
デュッセルドルフはすっかり秋です。
ここ最近は朝晩12度と肌寒く毛布の下にしっかり潜り込んで寝ています。
何処の国に行ってもその地でのそれなりの大変さは付きモノ…
まだまだ完全とは言えませんが、そんなデュッセルドルフ生活にも大分慣れてきました。

新しい国に引っ越してまず感じる違いは言語と食事ではないでしょうか。
時間が経てばもちろん文化や価値観の違いも浮上してきますが。

ドイツの文化、価値観や食事に関してはまたいつか書こうと思いますが…
食事に関して簡単に言ってみると「重い」です(笑)
肉、イモ、ビールの連続という感じ…
そんな訳で今回は最近ハマっているBiohof:オーガニック農園をご紹介したいと思います。

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日本で暮らしていた時、Bio=無農薬、自然、オーガニック食品というと…
ちょっと特別な場所で買うちょっと特別な食材というイメージ。

正直、ドイツでもそう感じている方々も多いと思います。
ただ大きく違いを感じるのがその手軽さ…
どのスーパーに行っても全てとは行きませんがBio 食品を買うことが出来ます。
高級スーパーからディスカウントスーパーにまでBio食品が浸透していることです。
大型スーパーなどに行けば生鮮食品、乳製品、飲料からお菓子まである程度のBioか普通かが選べます。

あるドイツ人の方は「Bioはヤラセ」だと言いBioなんか買わないと言い切る人もいますが。
あとは、経済的な理由で選ばなかったり。

あくまでも個人的な価値観になってしまいますが…
ドイツで買うBio食品はそんなに「高い」とは思いません。
ここはドイツなので日本と比べるのはあまり意味のないことなのかもしれませんが、普通食品より少し割高かなという程度に感じます。
もちろんスーパーマーケットのランクの様なものにもよりますが…
こちらでは一般的とされる大型スーパー「Real:レアル」を基準にするとこの様な感想になります。

また、街の至る所にBio専門スーパーマーケットも存在する。
だが経験上、通常のスーパーで同じ商品を買うよりも割高感がある。

そこで、今回ご紹介したいのが少し郊外にあるBiohof…
オーガニック農園の直売所です。

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我が家からそれほど遠くない場所にもたくさんのBiohofはあるのですが、最近気に入って行っているのが車で30分位の場所、Wittlaer – ヴィットラアーにあるApfelparadies… 日本語にするとアップル・パラダイス♪
リンゴ農園と隣接したオーガニック農園にはフルーツや野菜、卵、チーズ、お肉やワインなどが買えるちょっと素敵な場所です。

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いつ訪れても地元の方々で賑わっていて人気があるよう。
ここに来る際に買うものは卵、鶏肉、フルーツとリンゴタルト♪
こちらはリンゴ農園だけあってタルトが絶品!
丸ごとホールタルトが4.50ユーロとお手頃♪

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朝食、3時のおやつに食後のデザート…
あっという間にペロリです!
やはりBio食材は味が美味しい。

外にはカフェもありコーヒーを飲みながらケーキを楽しむことが出来るちょっとしたお出かけコースになっています。

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同じメーカーの同じBio商品でも場所によって価格が違うことがあります。
それは地域や需要量の差なのかもしれません。
なので、数カ所の販売店を使い分けて上手に買い物をすればお財布の負担も抑えることが出来ちゃうのです。