my: Story

エジプト・カイロ 生まれの “旅する主婦”
日本人の父とエジプトとフランス人の母の間に誕生。
どちらかと言うと父に似た姉と母に似た私の2人姉妹。
保育園から小学校1年生の途中までは日本の公立学校に通う。
その後、オーストラリアに引っ越し、小学校2年生まで女子校に通う。
2年後には再度の引っ越しで両親は当時の北イエメンへ、姉妹はフランスの小さな村の現地校へ。一足先にイギリスの寮に通っていた姉を追っかけて小学校6年生には学年一つ上のお姉様達との寮生活を開始した。
各国の始業時期が異なるため学年がダブったり飛ばされたりの小学校時代は卒業式を経験すること無く終了(笑)なので、小学校は卒業していません!

IMG_3400

その後、中学2年まではイギリスの女子寮付きの女子校に入学。
その学校はとてもインターナショナルで世界各国から生徒が集まっていた。
いまとなったらあまり経験の出来ない環境がその学校にはあった。
宗教はイスラム、ヒンズー、プロテスタント、カトリック、仏教や無宗教等々の生徒たちとカトリックのシスターたちとの共同生活。
家庭環境も世界中の王家、富豪令嬢や私のような凡人まで多種多様なバックグラウンドの生徒たちが多く通っていた。
そんな学校での生活が色々な個人、性格、人種、国籍、文化、宗教などを “ありのままに受入れる” 考え方を学ぶ最初の一歩だった。
そして、大切な“自己責任” や “社会性” を育てる基盤になっていたのかもしれない。
この時期は色々な意味でいままでに見たことの無い世界に初めて触れたような気がする。

父の仕事の都合上、日本への帰国が告げられた。
あの時、イギリスの学校に高校卒業まで残っていたらどんな人生になっていたのか思い返すこともあるなか家族との帰国を選択。

帰国した時期の関係上、希望する学校には入学できず学区外の帰国子女受け入れの公立学校に中学2年生の3学期に編入。
この時期は明確に覚えている。
なぜなら、“中間” = 中間テストを意味することも分からないままの編入時のテスト結果は英語以外はすべて”0点” だったから。
完全な落ちこぼれ。
偏差値やら受験というプレッシャーを何とか乗り越えミッション系の女子高校に無事帰国子女枠で入学。漢字の読み書きもままならない状態での日本語教育はいま思い返すとどうやって乗り越えたのかが不思議…
いや、まてよ。乗り越えていたと思っているのは自分だけかも(笑)

色々な諸事情で高校2年の途中で告げられた父の転勤に姉を一人、日本に置いてバーレーンに着いて行くことになった。
日本語に追いつくことに必死になっていた3年間を終え、再度の英語教育に少し臆病になっていたのを思えている。
でも、そんな不安は素晴らしい先生やクラスメイトのおかげで一気に吹っ飛んだ。
人生で一番楽しいとも言える高校時代をバーレーンで送る。
成績も日本とは比べモノにならないほど優秀!
はい。自分で言っちゃうくらい(笑)

IMG_4967

大学進学を考える時期に差し掛かり色々悩んだ結果、再度日本の大学への進学を試みた。
オリエンテーションに間に合うために帰国したモノの…
突然、日本での中高時代の不安がよみがえり両親と話し合い、急遽合格していたアメリカの女子大に進路を変更した。
女子大はあまり自分に合わず…
2年生から専攻していた国際関係に強い大学にトランスファー。
大学時代は勉学よりも自分にとっての “人生論” を考えさせられる時期を送ったのだと改めて思う。
勉強、遊び、人生経験を思う存分楽しんだ大学時代を終え日本に帰国。

IMG_4968

アメリカに残らず日本への就職の道は凸凹でしたが無事外資系通信企業に就職。
その後、 小売業界、通信インフラ、建設業界、広告・企画業界など内外さまざまな企業・組織で働く。
同時に、かねてから関心があったアクセサリー製作に本気でとりくむ決意を固めた。

アクセサリーを通して出会った世界は広かった。
そして、それは美しいモノが多く、同時に目を背けたくなるモノも同じくらい多かった。
正直、目を背けたままの方が簡単で美しい世界のA面だけを見ていた方が楽だと思った。
しかし、世界のA面は目を背けたくなる世界のB面の代償のもとに成り立っているのだと気づいた。これは個人にも同じことが言える。
当時、企業のCSR(Corporate Social Responsibility – 企業の社会的責任)に興味を持ち始めた。
企業の活動は素晴らしいが…
それらの企業に所属するひとりひとりの社員の意識が付いて来ていないことに気づく。
そこで思った。
企業のCSRと同じくらいに iSR(individual Social Responsibility)が大切だと。
企業 vs. 社員に言えることは社会 vs. 我々個人にも言えることだった。

当時、”社会起業家” や “社会貢献” という言葉を頻繁に耳にするようになり…
“社会貢献” とは何かを自分なりに追求した。
その追求する旅の先にある “自分貢献” という考え方にたどり着き、人生や仕事の基盤となった。

これまで、私の人生に関わってくれた全ての方々から頂いた数えきれないほどの気づきや様々な国を旅して見て、知って、感じたこと、世界12カ国で暮らした経験や現在暮らすポーランドから見た世界などを皆さんとシェアしたいという気持ちをブログを通して発信をつづける。

Advertisements